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​俊良主 Planet

「俊良主節」は悲しいお悔やみの言葉の歌ですが、元々は、美しい曲であり美しい歌詞も多いのが特徴です。

 

料理や酒に手間とドラマがあるように唄にも手間とドラマがありますが、

それを感じ得られるかは受け手の感受性に委ねられます。

 

今回は電子的な音の力を借りて島唄の持つ宇宙観を音楽的に表出させられないかという実験を試みています。「なぐるしゃ」や「なつかしゃ」の響きとは永遠の問い。

平田まりなという唄者(ウタシャ)を軸に過去と未来との結を感じて頂けたらと考えています。

今回の歌詞

【歌詞】

見欲しゃ 愛しゃや 吾、シマぬ親兄弟 うりよりも

見欲しゃるむい あらぬ

二三月 咲しゅる百合ぬ 小花や うりよりも

見欲しゃるむい あらぬ

二三月 咲しゅる百合ぬ 小花や うりよりも

ナルユイシロエ

【訳】

見たくて愛しいのは 自分の生まれ故郷にいる親、兄弟

それより見たくて愛しいのは

二三月、野山に咲く百合の花

​俊良主節

明治維新の頃の名瀬金久村の非常に大金持ちとして知られた俊良。その妻、"みの加那"は、新婚間もない頃、潮干狩りに行って深みにはまり溺死してしまった。新妻を亡くした俊良を慰めようとして、村人たちは「泣くな嘆くな伊津部ぬ俊良主---」という詩を作って唄った。しかし俊良はその唄を聞き「みの加那を思い出すからもうやめてくれ」と村人に銀を渡すようになった。

村人は味をしめ、わざと俊良主節を唄い銀をくすねるようになった。そこから「銀泥棒節、転じてぎんどろ節と呼ばれるようになった。

 

また他説では「この曲は、明治から大正にかけて最も広く歌われた曲であるが、初め『ぬぶしぬたかさ』とも『うくまた節』とも言った歌が、少しずつ変わり、『ふなぐら節』となり、明治になってから『ぎんどろ節』と変わり更に『俊良主節』となった(恵原義盛・奄美の島唄)」

ともある。

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